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あの子のはなし


「ねえ、夜の学校に忍び込んでみない?」



新学期が始まって何日か経った放課後、下校中に、僕はばったりと園子に出くわした。園子は今学期から同じクラスになった女の子である。何度か一緒に遊んだことはあったけれど、これまで一度も帰り道を一緒に歩いたことはなかった。家の方向が真逆だからである。聞くと、彼女は今学期から、放課後に学習塾へ通うことになったらしい。それも、ちょうど僕の家の近くにある学習塾だという。

 


その学習塾の名を聞いたとき、僕は心が踊った。

 


僕は園子に対して密かに恋心を抱いていた。今学期のクラス替えの発表が張り出されたとき、僕はすぐに、自分と同じクラスに園子の名前を見つけた。何てことない風を装いながらも、僕は嬉しくって、ぽーっと火照った気持ちで、何度もそれが自分の見間違えでないのを確かめたのであった。

その日は学校で園子と一度もおしゃべりすることができなかったのを悔やみながら、両脇のランドセルをぎゅっとにぎりしめ、ぽてぽてと家へ向かって歩いていたところだった。そんなとき、突然、園子の声がしたので僕は大変どぎまぎした。あまりに唐突だったので、園子が後ろから追いかけて来たのか、どこか横の路地から表れたのか、はっきりとはわからなかった。ともかく、いつの間にか、彼女は隣にいた。

「ねえ、なにしてんの?」
「えっ、その!…園子か。びっくりした。今はね、えっと、歩いてるよ。あと、呼吸。」

園子が学校の怪談を持ち出したのはそのときだった。何でも最近、放課後の校舎によく人形が落っこちているらしい。それを、同じクラスの子も、隣のクラスの子も、他の学年の子も目撃している。その人形はいつも、廊下の真ん中にポツンと落っこちているのだそうだ。ある子は誰かの落とし物であろうと考えて、人形をつまみ上げ、皆の目に触れるように窓の桟に置いておいたら、翌朝消えてなくなっていた。またある子は、人形を拾い上げ、廊下の隅に置いたら、翌朝消えてなくなっていた。またある子は、人形を抱え上げ、下駄箱の上においておいたら、翌日消えてなくなっていた。そんな具合に、誰が何度置き直しても、次の日の朝にはその場所から消え、そのうち、また校舎のどこかの廊下にぽつんと落ちているのだという。

「この話、どう思う?」
「どう思うって…。きっと何人が口裏を合わせて、噂を流してるだけだよ。みなを怖がらせる為にさ。学校の怪談ってよくあるじゃんか。」

「私も、そうだと思ってた。でも、実は今日、私もその人形を校舎の中で見たの。それでね…。」

園子は背中に背負ったランドセルを胸に回して、中を開いてにっこりと笑ってみせた。

「私、その人形。拾って来ちゃった。」

○ ○ ○

僕は園子のランドセル一杯に押し込まれた人形をみて、ギョッとした。汚いぼろ布をめちゃくちゃにつぎはぎにした胴体に、またボロ布でまとめあげた頭部がくっついていて、太い毛糸であしらった髪の毛がまばらに縫い付けてある。そこにプラスチックで出来た大きな目が2つ。中でコロコロと黒目が転がって、常になにかを見下しているようにみえる。その黒目が、何やらとても不気味に見えた。片腕が、取れていた。

「まじかよ…。」
「きっと誰かがいたずらで、この子を校舎に置いているのよ。私たち2人で犯人を捕まえない?」

「先生たちは夜8時頃に校舎の中を見回るけど、そんなものは見たことがないって。だから、きっといたずらの犯人は夕方、生徒がみんな帰った後に、こっそり校舎からこの子を回収しているのよ。」
「僕たちは、それを待ち伏せて、捕まえるってわけだね。」

要は、夜の校舎に一人だと心細いということらしかった。僕は園子の「心細い」を補う相棒に抜擢されたのを内心とても嬉しく思ったのだった。

○ ○ ○

計画はすぐに実行された。夕方、園子は塾に行っているはずの時間なので、家に帰るのが遅くなっても親に怪しまれない。僕は、親に嘘をついて、少し遅くまで友達の家で遊んでいることになっている。

僕たちは、校舎が静まり返るまで、学校の図書室で過ごした。僕にとっては、これが一番の目的であったことを白状しなくてはならない。2人だけの秘密をもって、こそこそと本を読んでいるふりをしたりして、時々、お互いに目を合わせて、にっこりと笑い合う時間。僕は生まれてはじめて感じる甘い幸福感に酔いしれた。

午後6時15分。図書室が閉まる時間になった。僕らはいそいそと図書室から退散し、玄関から出るふりをしたあと、すぐにUターンして自分たちの教室まで戻った。

「私、教室の前でこの子を拾ったの。」
「ではきっと、犯人はこの辺に戻ってくるだろうな。」

そっと、教室のとびらを開けて、するりと中へ忍びこむ。園子のランドセルから人形を引っ張り出し、教壇の上に人形を座らせる。相当ぎゅうぎゅうに押し込んであったのか、園子のランドセルよりもずっと大きく見えた。僕たちは窓側の、一番後ろの机の影に身を潜めて犯人を待つ。薄暗い校舎の教室の隅は少々怖かったけれど、園子と2人で身を寄せ合って、息をひそめて、待ち伏せするのは、楽しかった。

午後7時15分、図書室を出てから、ちょうど1時間経った。外は完全に日が暮れてしまったようだ。犯人は、まだ現れない。

「私、トイレに行きたくなって来ちゃった。怖いからついて来てくれない?」
「教室でてすぐじゃんか。仕方ないなあ。」

強がってみたが、教室の隅っこで、1人になるのは怖かったので、僕もついて行くことにした。win-winの関係というやつである。トイレは教室の後ろの扉を出てすぐの場所にある。そろそろと扉を開け、教室を抜け出た。さすがに中までついて行くのは気が引けたので、女子トイレの前の廊下で待つことにした。その間も犯人が現れないか、キョロキョロと廊下を見回していたが、廊下には誰も現れなかった。

「おまたせ。犯人きた?」
「ううん。誰も。ねえ、もうちょっと待ったらもう諦めよっか。」

僕たちはまたこそこそと教室へ戻る。扉に手をかけて、中へふと目をやると。



ーーーーー教壇に、置いていたはずの人形が無くなっている。



僕がそれに気づいた瞬間、隣にいた園子は、ハッと息をのんだ。目を見開き、今にも泣き出しそうな顔になった。

園子の視線の先、緑色の非常口のあかりに照らされた薄暗い廊下の先の階段に、「何か」が「腰掛けて」いる。何故だかわからないが、僕は一目でそれが、「尋常でないもの」だと分かった。輪郭がぶくぶくと不均整で、その形はとても「人間」の丸みではない。それが「腰掛けて」いるとわかるのは、胴体と思われる部位の上に、それと同じ大きさほどの頭部が乗っかっており、その胴体の下からは、脚のような綱がだらりと2本、投げ出されているからである。大きな目がすぐ側の床をジッと見つめている。片腕は、ついていない。

 

「ねえ…。嫌だ、座ってる。あれ、「あの子」だわ、、「あの子」が階段に座ってる、私がトイレしてる間にいたずらしたんでしょう…?冗談でしょう?ねえ…?」



それは紛れも無く「あの子」であった。

 

教室には誰も入っていない。さっきまでは階段になにも座っていなかったはず。

僕は息が詰まって、呼吸が苦しくなった。身体中がガクガクと震えはじめる。僕たちは「あの子」から目を離すことができず、荒い息で、ガタガタ震えて続けていたが、すぐに、ある変化が起こった。

「あの子」が頭部をゆっくりともたげて、その「脚」とも思われないような2本の綱で、静かに立ち上がったのである。バランスが悪いのか、立ち上がったまま、しばらく、ゆらゆらとしていたが、揺れがぴたりと収まったかと思うと、こちらに向けて歩み出した。そこからは、先ほどまでの不安定さが嘘であったかのように、こちら側へスタスタと近づいてくるのである。

僕は園子の手をぎゅうっと握って、逃げ出そうとした。が、しかし、園子の脚が動かない。腰が抜けているのである。園子の身体はぐらりと倒れて、その場に手をついて動けなくなってしまった。「あの子」は静かにスタスタとこちらへ接近してくる。僕は覚悟を決めた。園子を守らなくては。

接近してはじめて気づいたが、「あの子」はランドセルに押し込まれていたときよりも、明らかに、大きくなっている。僕たちと同じくらいの背丈になっていた。恐怖で脚が竦んだが、園子を置いて逃げる訳にはいかない。

 

○ ○ ○


「ワアアアアアアアアアアアアアアアア」

僕は叫びながら、「その子」に突進した。体当たりをすると、何の抵抗もなくぱたりと後ろに倒れるので、僕は勢い余って、前方に転がり込んでしまった。体勢を立て直して、みると立ち上がろうとしてもがもがしている。すかさずサッカーボールを蹴りとばすように思い切り横腹を蹴り上げた。

「その子」は、軽い人形と同じ重さで、ポーンと宙に浮き廊下の壁にぶつかり床に倒れた。今度は、くねくねと身体を揺すっている。

痛がっているのだろうか。ともかく、一向に反撃をしてこない。

僕は駆け寄って、夢中で「その子」を何度も何度も踏みつけた。最初は、ぼろい布切れの中に包まれたスカスカの綿をなんども踏みつけている感覚であったが、そのうちに、足の裏に確かに、何かを踏みつけている感触があった。効いている。と思った。きちんと踏んでいる感触がある。こいつを、倒せるかもしれない。そう思った。

倒すなら、頭だ。頭をつぶさなくちゃいけない。そこから何度も何度も、頭部を踏みつけた。こちらも最初はスカスカの綿を踏んでいる感触だったのものが、何度も踏みつけていると次第に「頭」を踏みつける感触に変わった。殺せると、確信した。

 


何度も踏みつけるうちに、顔が破れて綿が飛び出した。プラスチックの目は割れて、黒目が床を転がっている。



園子は…?いつの間にか立ち上がって、隣で表情なくボロボロになったそれを見下している。



「その子」は、ピクリとも動かなくなった。


僕は、怖くなって、再び、その手をぎゅうと握って、乱暴に引っ張り、駆け出した。校舎の外に飛び出しても、夢中でひたすら走り続けた。


そのうち、自分が1人で走っていることに気がついた。

 

僕が握っていたのは人形の片腕であった。



○ ○ ○



次の日からも、園子は普通に学校へ通って来た。でも、昨晩のことはおろか、「あの子」のことさえ、全く覚えていない、という。目撃をしたと証言していたはずの女の子も、ことごとく、そんなものは知らないと言う。



「その子」のことを知っている子は、誰もいなかった。