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クラーケンのはなし

おはなし

 

年老いたマッコウクジラはゆっくりと海を泳ぐ。

 

泳ぐ先に、海を漂っている獲物を見つけた。白くて、柔らかそうな身体をしている。イカだ。ひとつ、かじってやろう。と思った。

 

その獲物は、自分の気配を既に察知しているようだが、まるで動かない。一体どういうつもりか。

 

 顎のすぐ先まで近づくが、一向に逃げる気配がない。

近づいてみて分かったが、このイカは、自分と同じほどの身体の大きさをしている。ずいぶんと身体が大きい。

それに、とても大きな目を持っている。だけれど、どこを見るともなく、じーっと海面のほうを眺めているようだ。

…死にかけているのだろうか。生きの悪い肉は不味い。

 

 

ふいに大きな目が、ぎょろりと動いて、クジラを捉えた。

「やあ。」

 

「天敵に挨拶をするとは。おかしなやつだ。よし、生きているようだな、今からお前を食べるぞ。」

 

 イカは、少し海面のほうをみたあと、ぎょろりとクジラを見つめ直した。

 

 「うん。はやく、そうしてよ。」

「そのつもりだ。ところで、お前は、私から逃げないのかね。」

 

 「もう、いいんだ。だから、きみをまっていた。」

「変わったやつだな。興味が湧いて来た。どうせわたしに食われて死ぬんだ。その前に、お前のことを教えてくれよ。」

 

 イカは、目をそらす。ゆらゆら視線をゆらした後に、再びクジラを見つめ直す。

 

 「僕は自分のことがもういやなんだ。卑怯で、惨めで。誰にも必要とされていない。 最後に他の生き物としゃべったのも、もう、ずっと前だ。わかったろ。さあ、さっさと食ってくれ。」

「なにもわからないぞ。食う気がしない。食われたいなら、もっとお前のことを教えてくれ。」

 

 イカは大きく目を開いた後、海底へ視線を落とす。

 

 「……。ぼくは嫌いなんだ。この身体が。この身体が恥ずかしい。 皆が気味悪がる、この大きな目が、吸盤と爪のたくさん生えた、この醜い腕が。……。 この爪、歯触りが悪かったらごめんね。でも、身体は健康だよ。きっと…美味しいと思う。食べてよ。」

 「わはは。うまそうだな。心配するな。お前なんざ、ひとのみで食ってやるぞ。

そうか。自分が嫌いか。もう生きるのが嫌になったか。そうだな、どれ一緒に泳いでみないか。」

 

 「一緒に泳いだら、ぼくのことを食ってくれるかい。」

「必ず食ってやろう。」

 

     ○      ○      ○

 

大きな身体を2つ並べて、二匹はゆっくりと海の中を泳ぐ。

日の光がきらきらと降り注いで、折り重なり、二匹の身体を撫で過ぎてゆく。

 

先を見ると、海中に大きな影が差し込んでいる場所がある。なにやら大きなやつがのっぺりとした腹をあらわにして、ぷかぷかと浮かんでいるようだった。

 

 「こんなに浅くて、明るい場所を泳ぐのは慣れないな。いつもは、もっと深くて、暗い所にいるから。なあ、あれは君の仲間かい?」

 「さあなあ。何度か話かけたことがあるが、なにもしゃべらない。」

 

 「おしりのヒレがくるくると回っているね。」

「たまげたなあ。私には、よく見えないよ。」

 

「……。くるくる回って水をかいているんだと思う。あとは、おしりの所以外は、ひれがなくって、おなかはつるつるしていて、ところどころ皮膚がはげているみたいだ。背中のほうは…、よく見えないな。あとは、あとは…。そうだ、彼は何て言うの?」

「カモメのやつから聞いたが、名はフネというのだそうだ。背中に、カモメに似た生き物を乗っけて泳いでいるらしいなあ。本当か、嘘か、わからないが。」

 

 「カモメ……? ねえ。フネは、他にもいるの?」

「ああ。何度か、似ているのを見たことがある。ところで、お前はさっき、私のことを待っていた、と言ったが、我々は先に会ったことがあったかね。」

 

 「ううん。僕は目がいいから……。遠くのものも、よく見える。 きみは僕のことを知らないかもしれないが、僕はきみのことをよく知っている。ずっと、きみのことを、海の底から見てた。きみはいつでも、堂々としていて、立派で、ぼくの憧れだったんだ。」

「そうかね。どれ、フネにもっと近づいてみよう。背中にカモメに似たのが乗っているか。お前の大きな目で確かめて欲しい。」

 

     ○       ○      ○

 

「ところで、カモメってどんなやつだい。」

「わはは。そうだな。カモメがどういうやつか。お前は見たことが無いか。では、待っていろよ。」

 

クジラはゆっくりと身体をうねらせて、あたりを大きくゆらし、泳ぎ始めた。

見ると海面にはフネよりずっとずっと小さいものがぷかぷかといくつか浮かんでいる。それを目指して泳いでいるらしい。

大きな口を開けて、突進し、海面を突き抜ける。一瞬の静寂のあと、とてつもない、衝撃がイカの身体を包み込み、通過した。

クジラはゆったりとイカのところへ戻って来て、その大きな顎を開いた。中から、へんてこな形をしたものがたくさん飛び出してきて、一目散に逃げ去る。去り際、甲高い声で、なにか叫んでいるようだった。クジラに文句を言っているらしい。

イカは大きな目でそれ追いかけて、見送った。

「あれがカモメかい。」

「あっはっは。そうだ。ちょいと、おどかしてやった。やかましいが、悪いやつじゃあ、ないよ。」

 

 「へんてこな鱗に、へんてこなヒレだ。あんなのは初めて見たよ。」

「どうだ。面白いだろう。フネの背中にも、カモメがいるか。確かめてみてくれ。」

 

 イカは海面に浮かび上がり、フネの背中を注視する。波が邪魔をするせいで、はっきりと見えないが、フネの背中は角張っていて、とても硬そうだ。そして、なにやらカモメよりも一回りも、二回りも大きいものが、その背中の上をうろうろしている。

 

 「カモメには全然似てないよ。なにか別のものが、乗っているみたいだ。もっと近づかないとよく見えない。」

「わっはっは。そうか。やはり、あいつら嘘をついていたか。」

 

 「ねえ。もっと、近くで見てくるね。」

クジラは微笑んで、ゆっくりと目を閉じた。

「久しぶりに沢山動いたら、疲れてしまったよ。私は、しばらくここで昼寝をするから、確かめておいで。」

 

      ○      ○      ○

 

クジラは、海面近くで、頭を上にしてグーグー昼寝をしはじめた。

 

ほったらかしにされたイカは、少々不満であったが、フネの背中にいたものが気になったので、近くまで見に行くことにした。

 

フネのほうに目をやると、先ほどとは、少し様子が違う。

 

どうやら、ゆっくりと、静かに、こちらへ向かって近づいて来ているらしい。

 

我々に興味を持ったのだろうか。遠慮深い性格なのだろうか。近くに来ても、なにもしゃべらない。

 

 

フネはゆっくりと静かに、クジラへ近づく。

 クジラとフネは、もう互いに身体がこすれ合いそうなくらい接近している。

 

イカはじっと息を殺して、そばで様子を見ていた。

 

日に照らされて白く透き通っていたイカの身体は、フネの作る影に隠れて、暗く、灰色に濁った。

 

 

 

 

突然、猛烈な早さで、海面から、何かが突っ込んできて、クジラの身体に突き刺さった。

 クジラの身体から、鮮やかな赤色が溢れ出し、広がる。クジラは目を覚まし、絶叫して、身を大きくよじるが、それは深く身体に突き刺さり、一向に抜ける気配がない。

 

またもう一本、何かが突き刺さる。そして、また、もう一本。

 

イカは唖然として、その様子をただただ眺めていた。クジラはしばらく抵抗したが、そのうち、身をよじるのをやめ、口を開いた。

 

 「わっはっは。フネめ。立派な牙を持っているじゃあないか。油断した。恐れ入った。参ったよ。おい、イカよ。私はもう潮時らしい。お前を食べてやることは、出来ないよ。すまないなあ。」

 

クジラの身体は、フネに引き寄せられ、引きずり上げられてゆく。

 

 

 イカは未だ、我を忘れて呆然としている。

 

 

ークジラが食べられている?

 

 「お前は気にせず、逃げるといいよ。その立派な、大きな目で、もっとたくさんのものを見ておいで。それはお前にしか出来ないことだよ。さあ、早く、遠くへ。」

 

イカは混乱して、おびえて、身体がこわばっていた。どうしていいか分からなかった。

 

でも、今、クジラが死にかけている、それだけは分かった。

 

 

「嫌だああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ。」

 

 

イカは、あらん限りの力で水を押し出し、一直線にクジラの元へ泳ぎつき、腕を拡げて、夢中で、クジラの身体へ絡ませた。

 

そして、力いっぱい、クジラの身体を海中へ引っ張った。腕の爪がクジラの身体に食い込み、皮膚を引き裂き、またそこから、血が溢れでる。

 

辺り一面が、赤く染まる。

 

 

 「やめなさい。私はもう、助からない。私は、十分長く生きたよ。でもきみは、これからだ。」

 

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!約束した。確かに約束した。泳いだあと、僕を食べるって、きみに食べて貰うんだって、僕はずっと、僕はきみに、きみのようになりたかった。けど、なれなかった。自分に自信が持てなかった。この身体の大きさは、そのまま、ぼくの卑怯さを、臆病さを、あらわしているんだ。

 友達は小さい頃にみんな食べられてしまった。ぼくは他のより一等目がいいみたいで、天敵を見つけたら、すぐに逃げ出すことができた。いつもこそこそと逃げて暮らして来た。お腹が好いたら、簡単に捕まえることが出来る、深い底のほうの、小さい魚を食べてきた。

そんな風にして、生き延びて来た。こんなに大きな身体になってしまうまで。

 情けないんだ。もう耐えられないんだ。もう、終わりにしたかった。でも、思いついた。きみに食べてもらえれば、僕はきみの一部になれる。 憧れつづけた、きみに。僕が、きみ自身になれる。夢にまでみたことが、こんなに簡単に実現できる。それができたら、なんて幸せだろうって、そう思ったんだ。 だから、お願いだよ。僕のことを食って欲しい。」

 

 

「私に食べられたら、お前はそこでおしまいだよ。お前が私になれるわけじゃあない。私は、私だ。お前は賢い。本当はわかっているんだろう。でも、どうしようもないと決めてつけて、自分を欺いているよ。

 せっかく大きな目を持っているのに、ずいぶんと見える範囲は狭いようだな。宝の持ち腐れだ。わっはっは。」

 

 フネがクジラは引く力は強く、イカには太刀打ちできなかった。どんなに懸命に引っ張っても、取り戻せない。

 

とうとう、クジラの身体は、フネの背中に引き上げられてしまった。

 

     ○      ○     ○

 

…逃げたくない。いままでずっと逃げ続けて来た。

 

それでも、やっと、見つけた、生まれて初めて、掴みかけた、光が。

 

僕自身の選んだ、その光が、奪われる。逃げたくない。僕は、きみのように、なりたかったんだ。

 

イカはクジラを手放して、海深くまで潜り、急旋回して、フネに向かって突進した。

 

そして、海面から、飛び出した。彼がカモメを捕まるときにやったように。

 

 はじめて飛び出した、海の外。まぶしい。よく見えない。

 

硬いものに全身打ち付けられた。背骨が折れ曲がった。

 

 フネの背中に着地したらしい。

 

目が慣れて来た。『カモメ』がたくさんいる。よく見える。

 

 

すぐ側にクジラが横たわっていた。

 「やあ。…来たよ。」

 「……馬鹿なやつだ。」

 

『カモメ』達は、クジラに突き刺したものを腕に持っている。分かった。クジラを刺したのはフネじゃない。彼らだ。

 

 これまで感じたことのない感情が込み上げてくる。

 

 

夢中で、腕を振るった。

『カモメ』に当たった。倒れて動かない。

 

弱い。

 

夢中で掴んだ爪が『 カモメ』を引き裂いた。

血が溢れて苦しんでいる。

 

脆い。

 

理解した。

 

 

この爪は、奴等を引き裂く為にある。

 

この目は、奴等を見つける為にある。

 

この大きな身体は、長い腕は、奴等を殺す為にある。

 

やっと分かった。僕が、生まれて来た意味を。為すべきことを。

 

 

一匹。また、一匹。

なぎ倒す。引き裂く。僕は、強い。

 

『カモメ』は平たいものを持ち出してきて、それを僕の腕に振るった。

 

腕を失った。

 

鋭い歯だ。

 

それで、僕の腕を一本、また一本と切り落とす。

 

構わない。

 

残った腕で、『カモメ』をなぎ倒す。引き裂く。

 

一本、また一本。腕を落とされる。

 

 

 

目がかすむ。

 

 

腕は残っている。

 

 

まぶしい。

 

身体が、うまく、動かない。

 

 

それでも、力を振り絞って、最後の『カモメ』を殺した。

 

 

 

 

クジラは…?

 

冷たい目で、僕を見ている。

 

 

どうして…?

 

 

 

海に戻ろうよ。

 

僕のことを食べてよ。

 

 

 

身体をよじって、残った腕でクジラを抱えようとした。

 

 

そのとき、バランスを、崩して僕は、海に落っこちた。

 

 

 フネがどんどん遠ざかってゆく。

 

 

 辺りがどんどん暗くなってゆく。

 

     ○       ○      ○

 

 

 

きみのように、ジャンプをした。

 

 

 生まれた意味がわかった気がした。

 

 

 

 

なのに。この気持ちは?

 

 

 

 

 

 目が見えない。

 

開いているはずなのに。

 

 

 

 

 

 

 

とても、暗い。

 

 

 

 

 

 

 

 とても、眠い。

 

 

 

 

 

僕は自分の

 

 

 

 

正しいと思う道を

 

 

 

選んできたのに。

 

 

僕は

 

どうして

 

 

 

…?

 

 

 

 

     ○      ○      ○

 

 

 

 

イカの身体は、イカの目は、白く濁りながら、ゆっくりと沈み、暗闇とまざりあって、海底へ消えた。