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言葉のはなし

思うところ

ブログの名前を変えてみました。

 

 前の記事では、「価値のはなし」を書いたんですけど、それを書いてみて、考えたことをだらだら書いてみます。

 

「価値のはなし」は、これから社会に出る人に対して、自分だったらこんなことを伝えたいな、という設定で書いた「はなし」なんだけれど、そうじゃない人にも読んで欲しいし、読んでどう思ったか、こっそり教えて欲しいなという気持ちがあります。感想を教えてくれた人、本当にありがとう。

 

ちょっと格好つけて書いたのと、普段まとまった文章を書かないのとがあって、自分の思うところがこの文章で人に伝わるのだろうか、と不安な気持ちがあったんですけど、読んでくれる人がいて、理解してくれる人がいたので、試みとしてはまあまあ成功したのかなーと思っています。嬉しいです。

 

実は、「価値のはなし」は、まとまった感じで書きたい思いが強くて、そのために、ちょっとごまかして書いたり、内容を省いてみたり、筋を強引にまとめたところがあって、自分でもちょっと…、と思うところがいくつかあったりします。あと、ひとつのまとまったはなしとして書き上げた上で、新たに気づいたこと、考えたこともあるので、さりげなく、言い換えたり、補ったりしながら、そのことを正直に、つらつら書いて行きたいと思います。

 

「価値のはなし」は簡潔にすると、ものの価値を、お金だけで測ってしまうと、それで測れない価値を見落としたり、評価しづらいものを低価値(無価値)であると見なしてしまったり、その意味を失わせてしまうことがあるのではないか。

 

っていう話で、それに加えて、自分も含めた多くの人や、社会全体が、知らず知らずのうちに、その価値観に「乗っ取られてしまっている」ところがあるのではないか。それってもしかして、とても、もったいないことをしているんじゃないだろうか。っていう思いを込めたはなしなんですけど

 

僕が一番、なんだかなあと思っているのは、お金で表せない価値とは何か、っていうことを、「僕自身ががどう考えているのか」っていうことについて、はっきり書いていないところです。知ったような顔して「価値のはなし」をしているお前は、実際そのことをどう考えているのか、という、この部分を完全にごまかして、知らんぷりしています。

 

なんでこのあたりをごまかしたかと言うと、…自分でもはっきり答えが出てないからです。

 

知ったような顔して、価値のはなしを書きましたけど、僕自身、お金で測れない価値とはなにか。はっきりわかりません。どう表したらいいのか、わかりません。そもそも価値とは何かっていう、言葉の定義もきちんとできません。なんたる不義、なんたる不徹底。

 

でも、それを考えつづけること、それ自体に意味があるのかな、とはぼんやり思っていて

 

だから、自分自身の価値の意味を探すこと、それこそが人生なのではないか、と。そういう提案をしてみたんです。無責任

 

自画自賛ですけど、お金の価値観のみでものを測ることによって、測れない価値を見落とすだけでなく、「評価しづらいものを低価値(無価値)であると見なしてしまったり、その意味を失わせてしまうことがある」

 

この辺の洞察は割と面白いんじゃないかと思ってます。てへ

 

そして、ここから先は、価値のはなしをまとめてみて、自分で読み直してみて、あれ、ひょっとして…って思ったことなどを書きます。

 

お金という基準だけで、ものの価値をとらえてしまうことを、さっき僕はそのことを、こっそりと「価値観の乗っ取り」であると、批判の意味を込めて、そう表現したんですけど、それって、

 

ものにはお金ではかれない「真の価値」があるのに、お金というものさしで測ってしまうことによって、その「真の価値」が見えなくなってしまう、ということなのか。つまり、ものにはお金ではかれない「真の価値」ってものが存在すると、暗に想定しているのかな?

 

と思って(自分で書いた文章に人ごとのようにコメントをするんだけれど)

 

 

でも、どうもそうではないような気がしていて、「お金で測れない真の価値」なんてものは、実は存在しなくて、

 

「価値」の表し方は、お金以外にも、たくさんあって、お金も含めて、その表し方のそれぞれが「真の価値」と言えるのではないかという、考えに至りました。

 

 

このことは、「価値のはなし」を根本から揺るがすものではなくって、結局は、お金だけでなくて、他の表し方でも、ものの価値を検討してみて、価値の見落としや見誤りがないかを検討することが大切だと思う、という主張には変わりないんだけれど。

 

そして、あれ、、ひょっとしてと思ったのは、、批判的に使った「乗っ取り」と言う言葉、その「乗っ取り」こそが実は価値の、そして、もっと大胆に言うと、「言葉」の本質なのではないか。という。

 

価値のはなしをしていたのに、いきなり言葉のはなしになって、話がぶっ飛ぶようで、ごめんなさいなんですけど。

 

つまり、ものの価値をお金ではかってしまうことによって、その価値観でしかそのものを見ることができなくなる、それによってなんらかのエラーが生じる、っていうのは、価値の話に限ったことではなくって、似たようなことが、実は言葉全体にもあって、言葉にもそういう作用があるんじゃないか、とそう思ってます。

 

この「言葉のはなし」は、もっときちんとまとめたいので、また今度にします。